学会の歴史-HISTORY-

日本脳腫瘍病理学会20年を振り返ってfounderの一人として

名古屋大学 名誉教授 景山直樹

日本脳腫瘍病理学会の全身である脳腫瘍病理研究会は、1983年日本神経病理学会のサテライト研究会として始まった。その動機は、脳腫瘍病理に関心のある人達の容量と、求めた内容が、その当時の神経病理学会に入りきれなかったからであって、既に生まれるべき雰囲気にあった。

その年、1983年は、私が会長として第24回日本神経病理学会を名古屋で開いたが、その時を機会に、志を同じくしておられた群馬大学の石田陽一教授に図り、神経病理学会理事長の米沢猛教授の御理解と御賛同を得た上、同じ名古屋で石田教授に今後の見本になるような、第1回脳腫瘍病理研究会の開催をお願いした。その時の世話人は第1表外部ページにリンクしますの如くで、その後の本会を作って行っていただいた方々である。

そして、その目的は明文化されてはいないが、第1に脳腫瘍の病理診断能力向上の普及(当時は提出演題の中にも、まだかなり初歩的な誤診があった)。第2に各脳腫瘍の病理学的問題点を浮き彫りにして議論すること。第3にこの領域に関する新しい知識をできるだけ早く取り入れる事(例えばこの方面の世界的なエキスパートの口演を聴く機会を作るなど)。第4に会員の中で新しく生まれてきたものを育てる事、などであった。

幕開けとなったこの年の日本神経病理学会のシンポジウム(第2表外部ページにリンクします)はまさに腫瘍マーカーの先駆けとなるものであったし、この会並びに第1回脳腫瘍病理研究会の特別講演(第3表外部ページにリンクします)は電子顕微鏡所見の重要性を告げるものとなった。また研究会の方では、石田教授らしい問題の多い2つのテーマ(第4表外部ページにリンクします)が選ばれ、また石田教授御自身“CTと病理”の関係の重要性を語られた。 こうして脳腫瘍病理研究会はスタートしたが、その後約10年間は始めの趣旨に沿って、主な腫瘍の光顕、電顕、特殊染色、酵素抗体法、組織培養などによる病理知識の普及とそれぞれの腫瘍の病理が従来から抱えている問題点に関する討議などが中心となった。その間、取り上げられた項目は第5表外部ページにリンクしますの如く、主立った腫瘍ほぼ全部に及んでいる。その間、この研究会を通じてKepes, Rubinsteinを始め数々の国外、国内のエキスパートの講演を聴く機会も得た。

これらの研究会の内容は、名古屋大学の吉田純教授のご努力で、第4回までは毎年講演集として発表され、さらに第5回からは機関誌「脳腫瘍病理」として記録に残される事となった。

また、1988年に石田陽一教授の監修のもとに、河本、吉田両教授らのご努力で「脳腫瘍カラーアトラス」が医学書院より出版され、これがベストセラーとなり、これらの事が合わさって、日本全体の脳腫瘍病理診断能力向上に関わる大きな貢献を果たした。1990年には京都で国際神経病理学会が開かれ、世界の多くの脳腫瘍病理研究者達が京都に来られたのを機会に石田教授はその人達をこの研究会に招き、“脳腫瘍病理の国際シンポジウム”を企画された。会場は風光明媚な琵琶湖畔のホテルで、その時の参加者やトピックスは(第6表外部ページにリンクします)の如く、その会では活発な討論が行われた。

大変残念な事に石田教授はその翌年突然の病で亡くなられ、本会は大きい指導者を失ったが、その遺産と精神は今も脈々と受け継がれている。石田教授のほかにも、もう一人初期のこの研究会に大きい貢献を頂いたのはMontefiore病院の平野朝雄教授で、本会でも10回の特別講演を行っておられ、また本会の多くの人達がその指導を受けた。 ひととおり各種脳腫瘍の勉強が終わった時期の第11回会長の吉田純教授は、それまでの“教育に軸足を置いた脳腫瘍病理”の要素をこの会の一部として脳腫瘍教育セミナーとし、その他の“診断の困難な症例や問題のある症例”に対しては臨床病理検討会としてopen discussionにする形式を始めた。後者は故石田教授が望んでおられた事を吉田教授が実現したものである。この企画は見事に成功し、その後その形式が踏襲される事になった(第7表外部ページにリンクします)。

この臨床病理検討会には大変貴重な症例や、珍しい症例が集まるので、次にはそれらの資料の散逸を防ぐ為に、それらの症例を1箇所に集めてセンター化し、後からでも標本を見て勉強する事が出来るようにする必要性がでてきて、群馬大学の中里洋一教授がこの役をお引き受けいただき、「日本脳腫瘍レファランスセンター」を群馬大学病理学教室内に設置され、インターネットのホームページを作られ、誰でも自らの貴重な症例を登録保存でき、また他の人の稀な症例も勉強できる体制を作られた。これからは情報化の時代である。利用しやすくなる一方で、それに対する参加も要求される。全会員が積極的に協力し、この施設を世界に誇れるものに育てて欲しいものである。

機関誌「脳腫瘍病理」はその後関西医大河本圭司教授のご努力で英文誌“Brain Tumor Pathology”となり本会以外の優秀論文も受け付けて、国際誌となり、1993年からIndex Medicusに掲載されることとなった。また1997年(佐賀医科大学田渕和雄会長)の時から本会は独立した学会となって組織化された。

一方、学会の内容の方では、このころ大きい変革が起こりかけていた。それは“分子生物学の出現”である。第9回長嶋和郎会長の頃から既にその兆しが見えていたが、トピックとして初めて取り上げられたのは第13回生塩之敬教授の時(1995年)からである。その後数年でこの分野が本学会の大きな場を占領する事になって、今後の変化の見通しすら不明瞭となってきた。

 第13回以降の分子生物学、分子病理学が扱っている項目を拾ってみると第8表外部ページにリンクしますの如くで、この方面の今後の発展次第では脳腫瘍全体の分類も、WHOのGradingも大きく変える可能性があり得る。また臨床予後のみならず、治療の内容や指針までも、脳腫瘍分類に入ってくるかもしれない。幸いこの学会は従来から臨床病理学者と脳神経外科医との緊密な関係で成り立っていた学会であるので、これから更に一層臨床と病理との共同作業が必要となるであろう。そして今まで皆で築き上げてきたものは消える事なく土台となり、その上に新しい知見が加わり、より病理と臨床が内容的に適合する事になってくるのではなかろうか。そうなって欲しいものである。

 数年前まで、B-Cell, T-Cell, Hodgkinなど数種類の分類に過ぎなかったMalignant lymphomaの分類が、新しく分子生物的知見を加えて2001年に発表されたWHOの分類では、白血病も加えての分類とはいえ、実に40種類にも増えている。脳腫瘍の分類にもこれに近い道を辿る可能性が高いように私には思われ、今後その創造に向かって本会が大きな役割を果たしていく事を期待したい。

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